保育園を退園したお話【毎日療育に移行するまでの迷いと葛藤】

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発語なし、超多動、知的障害あり、睡眠障害あり
そんな自閉症の息子を、療育センターで働くママが試行錯誤しながら育てています🌱
可愛いけれど、大変すぎる毎日です💦
お兄ちゃんのしろくまは、優しすぎる繊細ボーイ👦

こんにちは☺やむやむです。

今回は、ペン太が1歳から2年半通った保育園を退園し、児童発達支援施設に週5日通うようになるまでのことを書きたいと思います。

保育園を退園するにあたっては、たくさんの迷いと葛藤がありました。

よろしければお付き合いください☆

この話の内容

① 保育園を退園するまでの経緯

② 児童発達支援に毎日通ってよかったこと

目次

保育園を退園するまでの経緯

まわりとの差を感じるようになった2歳

2歳から療育をはじめたペン太。

当初は、週1日児童発達支援施設(療育)に通い、週4日保育園に行くという生活を送っていたのですが、その頃からペン太の特性がさらに目立つようになり、保育園ではなかなかの問題児

  • 集団行動ができない
  • 指示がきけない
  • お友達と遊べない

2歳児クラスになると、子どもたちはぐっと成長し、まわりの子たちとの差をすごく感じるようになりました。

保育園は集団生活。活動は、『できている子』中心になり、ペン太がそれに合わせなければいけない状態。園の活動の写真を見てもペン太の姿はいつもいなくて、活動に参加していないのは明らかでした。

外遊びでは、みんなで追いかけっこをしていても、ひとりで石を集めている。室内では、みんなで制作をしていても、ひとりでおもちゃで遊んでいる。

担任の先生は、『ペン太くんがイヤなことは強制せず、見守っています』というスタンス。

『見守り』という名の放置では…?

『見守り』って、すごく良い響きですが、本当に見守っていてくれているのか?どちらかと言えば放置なのでは?と、ずっとモヤモヤしていました。

ペン太は興味のないことは全くやらないので、まわりが働きかけをしてくれなければ全く参加できません。なので、自ら参加しなければ、ひとりで自由に過ごしているということ。

好きなことができて、まわりからは止められない。ペン太にとっては良いのかもしれないけれど、ほとんど声をかけられずに過ごす毎日って、どうなのでしょう💦

イヤなことをすることも経験。できなくてもやってみることも経験。圧倒的に経験不足です。

保育園のような集団生活では、ひとりの子につきっきりになるということは難しいので仕方がないかなと思う部分もありましたが、やはり毎日切ない気持ちでいっぱいでした。(加配の先生をお願いして配置されていたはずですが、ペン太につきっきりは難しいと言われていました)

昼寝をし過ぎてしまうのが大問題

もう一つ気になったのは、昼寝をし過ぎてしまうこと。

その頃のペン太は睡眠障害がほんとーーーに酷くて、寝かしつけまでに時間がかかり、夜中に目覚めて明け方まで起きているという。わたしたち夫婦にとっては、地獄のような日々…

保育園で昼寝を2時間もしていたので、なんとか減らしてもらえないか、お願いしたこともあります。(本当に死活問題なので…)

しかし、気にして起こしてくれる日もあれば、ぐっすり3時間も寝かされてしまい夜更に寝ない、なんてこともあり💦毎日連絡ノートを見てイライラしてしまう自分がとてもイヤでした。

でも、保育園をやめてしまうとわたしは仕事に行ける時間が圧倒的に減ってしまう。1歳から通い、せっかく慣れた環境をやめてしまうのは勿体ないのではないか。

悩みながらも、決断できずに日々が過ぎていきました。

保育室から脱走

あるとき起こった、ペン太保育室から脱走事件。お昼寝の時間に、そっと保育室を出て行ってしまい、外のベンチでひとりで寝ていたそうです

この話を聞いたとき、もちろん出て行ったことにすぐ気づかなかった園の体制に怒れましたが、『怒り』というよりは、『悲しみ』の感情の方が勝り、辛くなってしまいました。

あぁ、ペン太はあの教室にいたくなかったんだな…

たくさんの子どもたちがガヤガヤしていて、ペン太にとって落ち着かなかったのかな…でも眠かったからひとりで眠れる場所を探したのかな…

ペン太にとって、保育園は居心地の良いものではないのだと感じたのです

そして、わたしの中で何かが吹っ切れました。

保育園やめよう!

そんな経緯もあり、2歳児クラスの冬に保育園を退園し、週5日、児童発達支援施設へ通うことに決めました。(そのときに通っていた児発にたまたま空きがあり、週5日入ることができました)

児童発達支援施設に毎日通ってよかったこと

先生の人数が多い

↑↑児発で、思う存分『感覚遊び』を楽しむペン太3歳🐧

児発の良いところは、色々ありますが、わたしが一番良いと思うのは、先生の数が多いところですね。当時通っていた児発は、子ども10人に対し先生が6人くらい常時いました。

ペン太もたくさん先生に遊んでもらい、たくさん声をかけてもらい、毎日目をキラキラさせて楽しそう。正直、保育園のときと全然表情が違います(^^;)

制作や集団あそびなども、先生がうまく介入してくれて『できた』の体験を積み重ねてくれています。

慣れてるところがいいのでは、というわたしの勝手な思い込みで、あのまま保育園にいたら、ペン太は卒園まで毎日毎日ひとりで、まわりとの関わりがなく過ごしていたかと思うと、ゾッとします(>_<)

やってみたらできることもある

保育園や幼稚園によっては、障害にとても理解のあるところもあり、児発並に職員が手厚くてマンツーマンで見てもらえたり、個別にしっかり関わってもらえるところもあったりします。

園長先生の考えと、担任の先生の力量によるな、としみじみ(^^;)

ペン太は保育園では、『絶対まだできないだろう』と決めつけられ、パンツを試してもくれずでしたが、その後児発で毎日パンツになりあっさり成功しました。

やってみたらできることもあったと思うのです。

潔く決断してよかった

こんなに保育園の愚痴に近いお話をしてしまいましたが💦

赤ちゃんの頃からペン太を可愛がってくださり、たくさんの先生たちにお世話してもらい、保育園にはとても感謝しています☺

兄しろくまと2年ほど一緒に通園していたので、兄のお友達にも可愛がってもらい、ペン太にとって楽しく幸せなこともたくさんあったと思います。

保育園最後の日に、当時の担当の先生から『何もしてあげられなくてごめんね』と、言われました。思い出すと涙がでます(T_T)

先生たちもペン太のことは気にしてくれていたけれど、何をどうしていいのかわからなかった部分と、大勢の子どもたちを見ることに精一杯でペン太の個別対応まではできなかったのだろうなぁ。

今、甘えん坊で人とのふれあいが大好きなペン太を見ると、あのとき潔く保育園を辞め、児発に毎日通うことに決めて、手厚い関わりを持ってもらえて本当によかったなぁと、思う次第です(^^)

お読みくださってありがとうございました。

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